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Blade Runner 1982
ブレードランナー

監督 リドリー・スコット
原作 フィリップ・K・ディック
未来デザイン シド・ミード
音楽 ヴァンゲリス
効果 ダグラス・トランブル

主演 ハリソン・フォード

 

この映画を最初に見たのは荻昌弘解説のテレビでだった。

それまでは、名前は知っていたものの、SFとはいえ宇宙が舞台ではなく、地味な印象があったし、未来風景は、日本人である私は、手塚治虫によってさんざん擦り込みが行なわれているから、特に目新しいものがないように思えた。
要するに、あまり興味が持てない映画、というスタンスだった。

しかしそのころはちょうどビデオの草創期であり、ビデオレンタルがまさに行なわれ始めた時期だった。そのビデオ時代に一躍脚光を浴びたのがこの映画だった。
私も噂を聞きつけて、テレビ放送時にはでは見てみようという気になったのだ。

 

前半は、思った通りのゆるい未来風景が続き、さしてどうということもない、と思った。

それが、テレビに身を乗り出すようになったのは、いつだったか。

レプリカントであるルトガー・ハウアーが、自分の作り主であるタイレル社長に会いに行き、要求が通らないと見るや、社長を殺してしまう…
そんな場面だった。

その時、レプリカントのルトガー・ハウアーは、社長を殺す時、その自分の作り主の唇にくちづけをした。
キスをしながら、自分の「父」を殺したのである。

その場面が、私にとって「ブレードランナー」のすべてとなった。

あの場面があったからこそ、ブレードランナーは特別なものになった。

 

今考えると、恐らくあの場面は、俳優ルトガー・ハウアーの創作ではなかったかと思う。
リドリー・スコットは俳優のアイデアを取り入れながら撮影をしたという。
後半の格闘の場面でも、あの鳩を飛ばすアイデアは、ハウアーのものだったという。
だから、あの父にキスしながら…という、あの場面はハウアーのアイデアだったとしても、おかしくない。

あの場面を見てから私は急に襟を正し、ブレードランナーはすごい、と思い始めた。
そして勿論クライマックスの死闘。
ハリソン・フォードがまさに危機一髪に陥った時にハウアーがしたこと。そして、そのあとのセリフ。そして飛んでゆく鳩…。
何もかもがショックだった。

酸性雨が降りしきる中、生を終えてゆくレプリカント、ロイ・バッティ。
クールでアジア的な未来風景の中でひとり屹立するルトガー・ハウアーの姿は神々しかった。

そうだ…私は、「ブレードランナー」で何を見ていたか。ルトガー・ハウアーだけを見ていたのだ。彼しか見ていなかったと思う。

それほど、ハウアーの「登場」はショッキングだった。

 


あの圧倒的な思い出も、やがては消えて行く
雨のように、涙のように
その時が来た

まるで詩を口ずさむようにそのセリフを呟き、そしてロイ・バッティは生を終えた。
映画を見ることの最高の喜びは、このような場面に出会うことである。



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